めんどくさいけどメイクしたい

きれいになりたいけどめんどくさい

PLAZAをソニプラと呼んでしまう大人たち

 

本日はコスメの話ではありませんが、コスメと密な関係にあるあのお店のお話。

 

 

 

先日このようなツイートをしたところ、

 

分かります、間違えちゃいます

 

まだソニプラと言ってます

 

え、ソニプラってソニプラじゃなくなったの!?

 

といった反応を見ることができました。

 

 

いい加減にしてください、みなさん。

驚かないで、よく聞いてください。

 

 

ソニープラザがプラザになったの2007年です。

 

 

12年経ってます。

 

 

ソニーグループを離れたのがその前年、2007年には店名も変更となりました。

まだ記事が現存していた。

ソニープラザが「プラザ」に店名変更-3月から導入へ シブヤ経済新聞

 https://www.shibukei.com/headline/3975/

 

驚かせてごめんね、でも本当なんだ。

 

 

昔の名前で呼んでしまう大人たち

これを読んでいる方は90年代V系の話への食いつき具合から同世代が多いと信じてるので、みなさんソニプラ世代として話を進めます。

そうでない人もいらっしゃるでしょうが、今日はそうします。

 

そんな皆様におかれましては、物心ついたときにはまたは生まれたときには国鉄はJRだったと思うんですよ。

でも幼少時代、親とか祖父母あたりがたまに「国鉄」と口走るのを耳にしたのではないでしょうか。

 

親世代にとっては10年くらいはほんの少し前の話、しかし小学生にとっての10年前は記憶もない、なんなら自身の存在もないような大変な昔です。

そんな昔を「ついこないだ」のように話す大人の感覚は理解し難く、滑稽でもありました。

そこにあるのは人を年寄りだと笑うある意味残酷な子供心に芽生える面白さ。と同時に「あなたは知らないでしょ、生まれてなかったんだから」というマウントを取られているような被害妄想がないまぜになり、子供にとっては到底居心地のいいものではなかったはずだ。

 

あなたたちはなってしまったのだ、

JRを国鉄と言い

NTTを電電公社と言い

大洋ホエールズとか西鉄ライオンズとか知らない球団名を並べ

歌舞伎役者や噺家を前の名前で呼んでしまう

そういう大人になってしまっていたのだ。

 

かくいう私も、たまに東京メトロを「営団」と言うのでまごうことなきそういう大人です。

ソフトバンクホークスもしばらくダイエーって言ってたし、歌舞伎役者や噺家はいつのまにか名前が変わっているばかりかその名前を持つ者が「別の人」になってるし、今なら分かるんだ、国鉄と言ってしまう大人の気持ちが…

  

私がプラザをプラザと呼べるようになったのも、ここ1、2年の話です。

プチプラコスメマンになっていなければ、さほどプラザにお世話になることも、日常的にプラザという単語を見聞きすることもなく、未だにソニプラと言っていたのだと思う。

なんならPLAZAに変わっていることに気がついていない可能性すらある。12年経った今でもだ。

 

 

何故私たちはいつまでもプラザをソニプラと呼んでしまうのか 

ソニプラがプラザであると気が付いたタイミングも、12年前ではなかったと思う。

それでも数年前には気が付いていて、気が付いていながらも、最近までソニプラと呼んでいました。

 

プラザは固有名詞じゃない 

だってさ、プラザっておかしくないですか?

固有名詞じゃないよね??

 

 

 

言ったら

 

「センター」

 

って名前みたいじゃないですか。何するところ?

 

「館」

 

とか。

 

何の館だよと。

 

 

プラザってそういうことじゃない?

広場

ってことでしょ。

直訳したらそういうことになる施設はほかにもあるとは思うけど、

会話の相手は果たして「プラザ」であのお店を想像することができるのか

「プラザ」の当てはまる対象はあのお店だけなのか?

世の中には無数の「プラザ」が存在してはいないか?

そんな疑問は、私が「プラザ」と呼ぶことをすぐには許さなかった。

 

 

施設の概要だけで呼ぶことのローカル感

この感覚に思うのは「地元感」だ。

 

固有名詞の付かない「施設の概要」や「スペースの形状」のみで呼ぶシチュエーションって、「ローカルな場面」しか思いつかない。

 

例えば親子の間で

「公園行ってくる!」

といったらあの公園しかない。

 

地元の中学生が

「本屋行こうよ」

と言ったらあの本屋しかない。

 

そういった共通認識の中で、固有名詞を言わずとも施設の概要だけで成り立つ場合がありますよね。

 

「プラザ寄ろう」 

この響きに感じるのは、中央区民プラザみたいなところがあって、中央区民はきっとみんなプラザと言えば通じるのだろう、図書館とかあるのかな、という地元感である。

 

 

一般名詞呼びは共通認識の元に成り立つ

それで真っ先に浮かぶのがこれ

 

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https://town.yukarigaoka.jp/yukariline/

かの有名な、千葉県佐倉市のニュータウン、ユーカリが丘を走る山万ユーカリが丘線である。

中学校駅、公園駅

どこ中?何公園?

それを聞くのは野暮ってもんだぜ。

ユーカリが丘では問題なく機能しているのだから、それでいいんだ。

 

だからプラザ呼びするのも、どこかローカル感がある気がしてしまう。

プラザという単語だけで、伝わるほどの共通認識があるだろうかと、躊躇いが生まれてしまうのだ。みんなユーカリが丘に住んでるわけではないのだ。

 

 

ローカル感とは相反する高姿勢

しかしプラザは「●●プラザ」ではない。

プラザである。

堂々たるものだ。

 

日本中の、いや、世界のプラザを凌駕する

我こそがプラザの中のプラザ

プラザと言ったらこの私のことだ

 

東急プラザ

大田区産業プラザ

キュープラザ池袋

京王プラザホテル

 

何ならトラファルガー広場もサンマルコ広場もスペイン広場も

舞浜民なら真っ先に浮かぶであろうシンデレラ城の前の「プラザ」も

 

全ては我が軍門に下れ

そんな傲慢さを感じやしないか。

 

ビルという名のビル

ホテルという名のホテル

橋という名の橋

そのくらいの強弁さと違和感を植え付けてくる。 

 

この世の総てのプラザを差し置いて、我々はあのお店のことをプラザと呼んで許されるのだろうか。

果たして世界がそれを許すだろうか。

 

 

このような「ローカル感」と、プラザを固有の領土のようにのたまう強弁さから、我々は「プラザ」と呼ぶことを拒絶し、いつまでもソニプラと呼んでしまう要因になっているのだ。知らんけど。

 

 

ソニプラと呼ぶのはもうやめにしないか 

そういうわけで私はプラザという名前に異を唱えているわけですが、Twitterを検索してみると「ソニプラ」という単語は思った以上に呟かれている。

 

分かっていてなお使っている人

未だに名前が変わったことを知らずにソニプラと言っている人

今日まさにソニプラがソニプラでないということを知り驚いている人

 

分類するとこの3種類になるわけだけど、なんとその全ての種が毎日のように観測できるのだ。(もっと言えばソニプラはソニプラでないと教えている人もいる)

浸透していない。浸透してないぞプラザ。がんばれプラザ。負けるなプラザ。

 

 

ソニプラと呼び続けたって、いい。

襲名で呼び名が変わった場合は別の人間を指してしまう可能性があるので注意が必要だけど、ソニプラは襲名していない。

ほかのものに誤認することはないのだから、呼び続けたってさして問題ではないだろう。

何なら私が周りの大人に教わってきたように、歴史を学ぶ機会にもなり得るのだから、悪いことばかりではない。

 

ただ、いつまでも文枝師匠を三枝師匠と、円楽を楽太郎と呼び続けるのは失礼のような気はする。それなら我々はプラザにも敬意を払わねばならない。

そして何より、自分が「ああいう大人」になっていることを自覚しなければいけない。

そこに悪意はない。ただ慣れないだけだ。知らないだけだ。

だとしても、プラザに慣れていくことを私は推奨したい。

若者の立場も慮るべきだし、何より

ソニプラって何ですか?

と言われて傷つくのはあなたたちなのだから…

 

そしてプラザがプラザとしてこんなにも定着していないことを知った今、積極的にプラザと呼んでいきたい。

まあ、プラザの浸透していなさは、新しく「●●プラザ」と名付けなかったせいであって、自業自得と言わざるを得ないとは思ってますが…

 

 

インターネットが性や世代を分断する道を選ぶべきではない 

ついでの話になりますが、インターネットでたまに見る「悲報、平成生まれテレホンカードを知らない」みたいなものって目に余るなあと思っています。

知らなくてびっくりする気持ちはよく分かるが、まるで人を無知のように扱うことは「バカにする」こととイコールだ。

匿名掲示板やまとめサイトに関してはそもそもバカにするつもりなので好きにやってくれって思ってるんですけど、気になるのは全く悪意無き「えーそれ知らないの⁉」っていう驚きの方ですね。

悪意はないんだけど、同じに見える。

LUNA SEAを知らない!?けいおんから10年⁉みたいなのも、びっくりするのは分かるけど、経ったんだよ、時は。

大人は子供だったことがあるのだから、それを言われたときの立場が分かるはずだ。

私たちが最も忌み嫌う、上の世代からの「若者は~」っていうのと、何が違うというのか。

 

来年には海老蔵が團十郎になる。

若者もそうして大人の感覚を実感として覚える日が来るだろう。

そうして人は大人になっていくのだ。

 

 

と、未だ90年代V系をネタに生きてる人が申しております。

 

放課後ティータイム

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